息子チーム最後の公式戦は同点・抽選敗退となり、公式戦日程終了となった。これで来年2月中旬の卒団式までは校庭の端っこでの基礎練習、中学硬式チームへの体験入部、下級生達のサポートなどで過ごす事になるだろう。

 「不動のレギュラー」を目指して2016年3月5日から始めた自主トレーニングは現時点で589回を数えた。紆余曲折があり、決して順風満帆とはいかずに試行錯誤した、息子と共に過ごしたかけがえの無い日々だったと思う。二度と戻る事の無い貴重な息子の少年時代を3年弱、同じ目標に向かって努力を重ねる事が出来た事は父にとって最高の宝物になったし、一生の思い出として記憶し続ける事となるだろう。

 息子は身体能力に恵まれたわけでも、センスに溢れていたわけでもない。未だに出来ない事の方が多いし、他の子が簡単に出来る事に時間を費やす。しかしコツコツと日々努力し積み重ねる事により、人より時間が掛かったとしても出来るように頑張れる才能があったと誉めてあげたい。

 何度教えても上達できず、きつく当たってしまった事も多々あった。それが原因で色々な障害も起こったし、息子の心を傷つけた事もあった。泣きながら母に父との朝練が怖いと訴えた事もあった。レギュラー当落選上にいた息子の状態に危機感を覚えて焦り、自分の指導力不足と根気の無さを息子に押し付けた結果だっただろう。あの頃、父にもう少し心の余裕があれば、息子にとって辛い期間があった事の記憶も無かっただろう。

 朝練の成果か、早くから守備力に関しては上手という評価を頂いていたと思う。そのため、ジュニア時代から先に入った選手より下位打線ながらライトで先発出場させてもらえる機会をもらえた。

 しかし、学童チームに移ってからも肝心の打撃がなかなか思うように伸びず、先発出場してもすぐに代打を出される期間が長く続いた。それは練習場所の制限から思うような打撃練習をさせてあげられず守備練習に偏ったメニューと、打撃練習もウェイトボールや穴あき練習球を打つ程度しか出来なかった事も原因だったろう。

 練習場所を移動し、ようやく本格的な軟球を使用した打撃練習が出来るようになった頃、長く期待されながらも控えに甘んじていた選手が台頭し、息子が控えに追いやられる事となった。彼は少し守備に難があるものの、6年チームのシーズン中盤からクリーンナップに定着し、当たれば長打の中心選手となった。

 控えの期間、それでも腐らず朝練やキャプテン達と行う夜の素振りで一生懸命頑張っていた息子。本格的な筋トレにも取り組みだした。たった1回の腕立て伏せすらまともにできない状況から、膝立ちや補助をしての5回からはじまり、現在では腕立て40回、腹筋50回、背筋100回を就寝前の日課とした。

 控えの身分で1大会過ごした頃、休みがちだったレギュラー1名が受験に専念する事からチームを離れ、いわば棚ボタではあるが先発メンバーに復帰する事となった。

 課題の打撃に関しては、市営グラウンドで軟球打ちするトス打撃やロングティーを繰り返しているうちに格段に向上していた。朝練やバッティングセンターで見違えるほどのスイングを見せている一方、それが試合はおろかチーム練習の場になると一転、まるで別人のような打撃となってしまう事が長く続いた。指導陣の「打たないとレギュラー無いぞ」という発破に対し、「良い当りをしないといけない」「良い当たりをしないとレギュラーから外される、代打を出される」と極度のプレッシャーを感じてしまい、自主トレやバッティングセンターのようなリラックスした状態で打てない日々が続いた。それでも試合で四死球の選択やポテンヒットなどで高い出塁率はキープできていた。

 転機となったのは6年5月の練習試合。外野手が飽和状態の息子チームでは、練習試合は特に外野手に出場機会を与えるためにすぐに交代が行われる。そこで試合終了まで出場する事ができ、第三打席の試合に慣れていた頃にセンター前に強烈に弾き返すクリーンヒットを放った。そこで少し精神的な余裕が出来たのだろうか、次の公式戦でも3打席目にセンター前ヒットを放つ。そして何度も負けた同連盟のライバルチームとの公式戦で、初の長打となる三塁打を打ち、試合後にうれし涙を流した息子がいた。

 そこからしばらくは試合で1~2打席のため思うようにヒットを打てない期間があったが、四死球の選択と犠打などはキチンと決めるようになっていた。チーム練習の打撃練習でもようやく朝練と同じフォームで打てるようになり、フリー打撃であわや柵越えの樹木直撃弾を打てるまで飛距離も伸びた。

 ここで打順が定位置8番から7番に上がり、試合での打撃フォームもよくなった。10~11月の2ヶ月間でクリーンヒットを連発し、打順も6番に定着。守備位置もライト、センターと流動的からセンターに固定となった。11月後半からは良い当たりが野手正面をつく事が多くなり、思ったような成績とならなかったが、大きく崩れる事は無かったと思う。

 最終戦は好投手の投げあいでW完封となり、ギリギリで3割を切ってしまった。しかし控えの期間があり、他の子より打数が少し少ないとはいえチーム内で最高出塁率をキープできた。

 本当に我が息子ながらよく頑張ったと思う。コツコツ積み重ねる事の大切さを、息子から教わった。しかしこれが終わりではない。次のステップに向かうための中継地点に過ぎず、息子も中学校で野球をやると決めている。息子チームから硬式へ移る子、他クラブへ移る子もいるだろうが、他地域の少年野球チームからもいる。そこで引き続き「不動のレギュラー」を目指すべく、今やっておくべき事はあるだろう。息子の目標に、父が出来る事は引き続きサポートしていきたい。